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ひとりの人間がこの世からいなくなる。
その人物が真ん中にいるとしたら、その周りにいろんなひとが繋がっている。一対一の場合もあるし、一対二の場合もあるし、一対五の場合もある。
真ん中にいる人は、いろいろな繋がりの中で生きてきた。
親子の関係、姉妹との関係、夫婦関係、友人、知人~そんなかかわりの中で生きてきた。
親兄弟・夫婦、いわゆる親族以外の友人知人となると、彼等はどれだけ濃密な関係であっても、他の人とのつながりがない限り、その関係は他の人には計り知れない。
真ん中の人と、自分との繋がりの一コマ一コマを知っているのは二人だけ。二人の関係のおおよそは知っていても、どのような時、どこで、だれと、どのような会話をしてきたかは、誰も知らない。
数人のグループでの付き合いであれば、真ん中の人がいなくなっても、そのグループでの思い出話はいくらでもあるだろう。それがいいのかどうか、わからないが。
二人だけの繋がりの場合、その思い出の会話を、他の人と共有したいとも思わないし、これからもこの気持ちは続いていくと思う。二人だけの大切な思い出として。
人間だもの、いろいろな側面を持っているはず。その中のひとつの側面を共有することができ、二人だけの楽しい世界を持つことができたことには、感謝の思いしかない。こんな気持ち、大切にしたい。
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『さざなみのよる』を読んで、登場人物ナスミちゃん(私が言う真ん中の人)と、私の友人カオルちゃんとの思い出がしっかり重なってしまった。
いろいろな人とのかかわりの一コマ。笑ったり、泣いたり、また笑ったり。
カオルちゃんが亡くなって、もうすぐ二年になる。七夕の日にみんなにサヨナラをすると言っていたようだが、ほんとうにその日に逝ってしまった。
最後に会ったのは、その前日7月6日。ベッドに横になりながらも、一緒にスイカを食べた。
「また来るね」と帰ろうとする私に、「急に逝くかもしれないけど…」とカオルちゃん。
「大丈夫だよ、しっかり繋がっているから」…、これくらいのことしか言えなかった。
その翌日7月7日、天に…。
もうじきカオルちゃんの命日。タイミングよく「さざなみのよる」を読んだ。